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東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)66号 判決

原告

鍬守光江

右訴訟代理人弁護士

伊東眞

被告

地方公務員災害補償基金東京都支部長鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

大山英雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五二年一一月一一日付けで訴外亡鍬守恒麿に対してした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  訴外亡鍬守恒麿(以下「恒麿」という。)は、東京都立駒場高等学校(以下「駒場高校」という。)の教諭であったところ、昭和五一年七月一三日午後一時一〇分ころ、新潟県柏崎市において、保健体育科の生徒を対象とする遠泳実習授業の公務に従事中、脳動脈瘤の破綻を来し、くも膜下出血による脳症(以下「本件疾病」という。)を発症した。

2  以下に述べるとおり、本件疾病発症の当日及びその前日までの恒麿の公務の遂行が誘因となって、脳動脈瘤破綻の時期が早まったものであるから、本件疾病は公務に起因するものである。

(一) 駒場高校の遠泳実習

駒場高校の保健体育科においては、同科に在籍する生徒を対象とし、必修課目として、六キロメートルを完泳することを目標とする遠泳実習を行っていた。昭和五一年の遠泳実習は、七月一三日から一八日まで(五泊六日)を実習期間とし、参加生徒数四四名に対して引率者数は引率責任者である恒麿を含めて同校の教職員合計八名であった。

(二) 本件疾病発症当日(昭和五一年七月一三日)の恒麿の行動

(1) 恒麿は、通常よりも一時間早い午前五時に起床し、約八キログラムの携帯品を持って自宅を出発し、午前七時二〇分に他の引率教職員及び生徒と上野駅に集合し、午前八時八分に特急列車に乗車し、午前一一時四〇分に柏崎駅に到着し、午前一一時五〇分に宿舎である柏崎市岬町二丁目に存する「北溟館」という名称の旅館(以下「宿舎」という。)に到着した。恒麿は、列車内において、一般の乗客に混じって乗車していた生徒を監督するため車内を巡回するなど緊張の連続であり、また列車内は冷房の効きすぎで寒かった。

(2) 恒麿は、宿舎に到着後直ちに宿舎の責任者との間で、参加者の部屋割や入浴時間等について確認をしたうえ、生徒に対して昼食をとるよう指示した。午後〇時五分ころ、引率者が全員一部屋に集合し、昼食をとりながら、当日の日程や実習内容について打合せをした。

(3) 恒麿は、昼食後休みを全くとらずに、午後〇時三五分ころ、海水浴場の水温、海流等の調査を行うため、上林教諭とともに宿舎を出た。恒麿は、六〇度ないし六五度の勾配の坂道を約六〇メートル下って、海岸に存する「あけぼの茶屋」の責任者に対し、遠泳実習開始のあいさつをしたうえ、ボート一そうを借り受け、砂浜のボート置場から上林教諭とともに四〇ないし五〇キログラムの重量のボートを海に押し出し、同教諭がボートを漕ぎ、恒麿が水温を測定しながら沖合約二〇〇メートルのところまで進み、そこで同教諭が海に入って泳ぎながら海流の調査をし、恒麿がこれに付き沿う形でボートを操作した。この海流等の調査の終了後、恒麿は、同教諭とともにボートを砂浜のボート置場まで引き上げた。宿舎を出てから以上の作業が終了するまでに約三〇分を要した。

(4) 恒麿は、午後一時五分ころ、上林教諭とともに、遠泳実習の開校式に出席すべく宿舎に向かったが、既に開校式の予定開始時刻である午後一時を過ぎていたため気持は焦っており、急いで前記の坂道を登り、宿舎に着くや、階段を上って二階の大広間に入った。

(5) 恒麿は、午後一時一〇分ころ、大広間において正座して生徒の人員点呼を待ち、生徒からの報告を受けた後、立ち上って大声で開校式のあいさつと訓示を述べ始めたが、約一五分話したところで急に気分が悪くなったので別室に移動し、安静を保ったが、激しい頭痛に見舞われた。医師の往診を受けたところ、医師は、同年七月一七日に高血圧症を伴うくも膜下出血による脳症との診断を下した。

(6) 本件疾病発症当日の恒麿の行動は以上のとおりであるが、特に、恒麿は、昼食後本件疾病発症までの四〇分間に、脳動脈瘤の破綻の誘因となるべき数多くの行動をしているのであり、本件疾病が公務に起因することは明らかである。

(三) 本件疾病発症前日までの恒麿の公務

(1) 駒場高校は、東京都内の公立高等学校の中で保健体育科を設置している唯一の高等学校であるところ、恒麿は、保健体育担当の教諭として同科の業務の遂行に常に熱意を傾けていたが、昭和五一年五月以降も、バレーボール部の指導、父母スポーツ教室の指導をし、また、体育の授業や実習を八ミリフィルムに撮影して編集をする等の仕事に熱心に従事しており、特に、八ミリフィルムの編集整理のため帰宅後も夜間長時間の作業をしていた。

(2) 恒麿は、全国高等学校長協会体育部会事務局長、日本学校体育研究連合会副会長ほか数多くの公的な役職に就いていたため、保健体育担当教諭としての業務のほか、これらに伴う業務の負担が大きく、ことに全国高等学校長協会体育部会は発足したばかりであったため、同年四月ころ、同部会の規約作成等の作業を約一〇日間にわたり毎晩遅くまでした。

(3) また、財団法人日本体育協会から駒場高校に対し、同年七月七日開催のオリンピック大会日本代表選手団結団式の入場行進等の指導につき協力の依頼があり、恒麿がその総括責任者となった。恒麿は、五〇〇名に及ぶ選手団の入場行進の歩幅、速度、整列位置等を正確に指示する必要があったため、自宅の庭においてもストップウォッチを持って何回も歩行速度の計測をした。

(4) 恒麿の身体は、以上のとおりの本件疾病発症前日までの公務の遂行により漫性的過労の状態にあり、これが本件疾病発症の一つの原因となったことは明らかである。

3(一)  恒麿は、被告に対し、昭和五一年一二月一日、本件疾病が公務上の災害である旨の認定を求めたが、被告は、恒麿に対し、昭和五二年一一月一一日、公務外の災害であると認定する処分(以下「本件処分」という。)をした。

(二)  恒麿は、地方公務員災害補償基金東京都支部審査会に対し、昭和五三年一月一一日、審査請求をしたが、恒麿は、同年八月五日、死亡したため、同人の妻である原告が審査請求手続を承継し、同審査会は、原告に対し、昭和五五年一一月二九日、審査請求を棄却する旨の裁決をした。

(三)  原告は、地方公務員災害補償基金審査会に対し、昭和五六年一月七日、再審査請求をしたが、同審査会は、原告に対し、昭和五七年二月一七日、再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決書の謄本は、同年四月三日、原告に交付された。

4  本件疾病は公務上の災害であり、本件処分は違法であるから、原告は、被告に対し、本件処分の取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  1の事実は認める。

2(一)  2の柱書きの部分は否認し、同(一)の事実は認める。

(二)  2の(二)の(1)のうち、恒麿が昭和五一年七月一三日午前五時に起床したこと、約八キログラムの携帯品を持って自宅を出発し、午前七時二〇分に他の引率教職員及び生徒と上野駅に集合したこと、午前八時八分に特急列車に乗車し、午前一一時四〇分に柏崎駅に到着し、午前一一時五〇分に宿舎に到着したこと及び生徒が列車内において一般の乗客に混じって乗車していたことはいずれも認め、その余の事実は不知。同(2)のうち、恒麿が生徒に対して昼食をとるよう指示したことは不知、その余の事実は認める。同(3)のうち、宿舎から海岸に至る坂道の勾配が六〇度ないし六五度であることは否認し、恒麿が昼食後全く休みをとらなかったこと及び「あけぼの茶屋」から借り受けたボートの重量が四〇ないし五〇キログラムであることは不知、その余の事実は認める。同(4)のうち、恒麿が帰路の坂道を急いで登ったことは否認し、恒麿の気持が焦っていたことは不知、その余の事実は認める。同(5)のうち、恒麿が大声で開校式のあいさつと訓示を述べたこと及び別室において激しい頭痛に見舞われたことは不知、その余の事実は認める。同(6)の主張は争う。

(三)  2の(三)の(1)のうち、恒麿が駒場高校の保健体育科の業務の遂行に常に熱意を傾けていたこと及び昭和五一年五月以降も熱心に仕事に従事していたことは不知、その余の事実は認める。同(2)のうち、恒麿が全国高等学校長協会体育部会事務局長、日本学校体育研究連合会副会長ほか数多くの役職に就いていたことは認め、その余の事実は不知。同(3)のうち、恒麿がオリンピック大会日本選手団結団式の入場行進等の指導の総括責任者となったこと及び同選手団の入数が五〇〇名に及ぶことを否認し、恒麿が自宅の庭において歩行速度の計測をしたことは不知、その余の事実は認める。同(4)の主張は争う。

3  3の(一)ないし(三)の事実は認める。

4  恒麿の脳動脈瘤の破綻による本件疾病は、公務に従事している際に発症したものではあるが、本件疾病発症当日及び前日までの恒麿の公務の中に、脳動脈瘤の急激な増悪を促し、破綻に向かわせるような極度の精神的緊張又は身体的負担をもたらす過重な業務は存しないから、公務に起因するものではなく、同人が既に有していた脳動脈瘤という病的素因及び昭和三六年ころから治療を受けていた高血圧症という基礎疾病の自然な結末にすぎない。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、それらをここに引用する。

理由

一  請求の原因1及び3の(一)ないし(三)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、請求の原因2(恒麿の本件疾病の発症が公務に起因するものであるか否か)について検討する。

1  駒場高校の遠泳実習について

請求の原因2の(一)の事実は当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  駒場高校の保健体育科においては、昭和三四年ころから毎年、一年生を対象とする必修課目として遠泳実習を実施してきた。実習の場所は、昭和三八年以降昭和五一年まで、新潟県柏崎市であった。

(二)  恒麿は、昭和三九年以降昭和五一年まで、引率責任者として遠泳実習に参加してきた。また、同人は、同年六月一八日、一九日の両日、遠泳実習実施のための現地調査をしたうえで、同年七月一三日からの実習に臨んだ。

(三)  昭和五一年の遠泳実習においては、参加生徒数四四名に対して、引率教職員の数は恒麿を含めて合計八名であったが、これは、昭和四九年及び昭和五〇年実施の遠泳実習におけるそれとほぼ同様であった。駒場高校の保健体育科の三年生を対象として実施していたスキー実習における参加生徒数と引率者数は、遠泳実習のそれとほぼ同様であり、同科の二年生を対象として実施していたキャンプ実習における引率者数は、ほぼ同数の参加生徒数に対して四名であった。また、昭和五一年の遠泳実習における引率者一名当たりの生徒数は、他の全日制普通科の都立高校において実施されていた臨海学校におけるそれと比較すると、極めて少ないもの(二分の一未満)である。

2  本件疾病発症当日(昭和五一年七月一三日)の恒麿の行動について

当事者間に争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実を認定することができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  恒麿は、通常よりも約一時間早い午前五時に起床し、午前六時五分に約八キログラムの携帯品を持って自宅を出発した。恒麿は、午前七時二〇分に他の引率教職員及び生徒と上野駅に集合し、午前八時八分に特急列車に乗車し、午前一一時四〇分に柏崎駅に到着し、午前一一時五〇分に宿舎に到着した。生徒は、一両目又は二両目の車両に集中して乗車したが、一般の乗客に混じって乗車していたため、恒麿は、他の引率教職員と交替で、生徒が一般の乗客に迷惑をかけたりすることのないよう監督するため、列車内を何回か巡回した。

(二)  恒麿は、宿舎に到着後直ちに宿舎の責任者との間で、参加者の部屋割や入浴時間等について確認をし、実習期間中の生徒の生活指導担当の教諭に、その結果及び生徒に対して昼食をとることの指示を与えるよう伝えて、男子教職員用の部屋に落ち着いた。午後〇時五分ころ、引率教職員全員がその部屋に集合し、昼食をとりながら、当日の日程や実習内容について打合せをした。

(三)  恒麿は、午後〇時三五分ころ、海水浴場の水温、海流等の調査を行うため、上林教諭とともに宿舎を出た。恒麿は、一二度ないし三〇度程度の勾配の坂道を約六〇メートル下って、海岸に存する「あけぼの茶屋」に至り、そこの責任者に対し、遠泳実習開始のあいさつをしたうえ、ボート一そうを借り受け、砂浜のボート置場から上林教諭とともに四〇ないし五〇キログラムの重量のボートを海に押し出し、同教諭がボートを漕ぎ、恒麿が水温を測定しながら沖合約二〇〇メートルのところまで進み、そこで同教諭が海に入って泳ぎながら海流の調査をし、恒麿がこれに付き添う形でボートを操作した。この海流等の調査の終了後、恒麿は、同教諭とともにボートを砂浜のボート置場まで引き上げた。宿舎を出てから以上の作業が終了するまでに約三〇分を要した。

なお、当日の柏崎市の平均気温は摂氏二三・五度(最高気温摂氏二六度、最低気温摂氏二一度)であり、曇り時々晴れの天候であった。

(四)  恒麿は、午後一時五分ころ、上林教諭とともに、午後一時開始を予定していた遠泳実習の開校式に出席すべく、前記の坂道を歩いて登り、宿舎に向かった。宿舎に着くと、階段を上って二階の大広間に入った。

(五)  恒麿は、午後一時一〇分ころ、大広間において正座して生徒の人員点呼を待ち、生徒からの報告を受けた後、立ち上って開校式のあいさつと訓示を述べ始めたが、約一五分話したところで急に気分が悪くなり、別室に移動した。恒麿は、別室において安静を保ったが、激しい頭痛を訴えたので、引率教諭の一人が医師の往診を依頼した。医師は、同年七月一七日に高血圧症を伴うくも膜下出血による脳症との診断を下した。

右の大広間は横六・二メートル、縦一一・六五メートルの大きさであり、周囲に騒音を発するものもなかったので、大声を出さなくても生徒には聞こえる状態であった。

3  本件疾病発症前日までの恒麿の公務について

当事者間に争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実を認定することができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  恒麿は、駒場高校において保健体育の担当教諭として週一六時間の授業をしていた。また、駒場高校は、東京都内の公立高等学校の中で保健体育科を設置している唯一の高等学校であるところ、恒麿は、同科の業務の遂行に常に熱意を傾けており、昭和五一年五月以降も、バレーボール部の指導、父母スポーツ教室の指導をし、また、体育の授業や実習の状況を八ミリフィルムに撮影して編集する等の仕事に従事しており、特に、八ミリフィルムの編集整理のため帰宅後も夜間長時間の作業をしていた。

(二)  恒麿は、体育に関する知識と経験を買われて、全国高等学校長協会体育部会事務局長、日本学校体育研究連合会副会長ほか数多くの役職に就き、これらの団体の運営に尽力していた。

(三)  恒麿は、財団法人日本体育協会から駒場高校に対し、同年七月七日開催のオリンピック大会日本選手団結団式の入場行進等の指導につき協力の依頼があったことから、その総括指示者となった。恒麿の役割は、多数の選手団の隊列を正確に会場に誘導することにあったため、恒麿は、同月五日及び六日の二日間にわたって、現場のコースを視察し、歩幅、速度等を計測したうえ、駒場高校の生徒二四名から成るプラカード保持者に対し、細かく指示を与え、同月七日には、右の生徒とともに結団式に参加した。

(四)  恒麿の、同年六月一四日から七月一三日までの間の授業以外の業務の概要は、別紙記載のとおりである。

4  恒麿の健康状態について

(証拠略)原告本人尋問の結果、鑑定の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  恒麿は、大正五年七月二六日生まれの男子であるが、昭和三七年一〇月二二日、社団法人東京都職員互助会三楽病院(以下「三楽病院」という。)の内科医から高血圧症と診断され、降圧剤の継続的な服用を始めた。恒麿は、その約四年前にも、他の医師から高血圧症と診断され、投薬治療を受けていた。恒麿は、昭和三七年一〇月二二日以降昭和五〇年七月八日まで、三楽病院において継続的に(昭和四二年から昭和四八年までは年九回ないし一八回の割合で)通院加療を続けた。この間、同人は、昭和四二年三月一日に頭痛を訴えて三楽病院の内科医の診察を受けたところ、頸部硬直が疑われ、血圧は収縮期圧が二一〇ミリメートル、拡張期圧が一三〇ミリメートルの高血圧状態にあり、また、昭和四九年二月四日から一三日まで、同病院に入院して右不全麻痺の治療を受けた。このときは、髄液検査の結果、くも膜下出血の症状が見られず、脳血栓と診断された。同月一三日、右下肢の軽い麻痺を残して退院したが、その後この症状も消失して、保健体育担当の教諭として支障なく勤務していた。

恒麿の血圧は、昭和三九年一〇月二二日から昭和四九年一月三一日までの間に計測された記録によると、変動が激しく、検査時に収縮期圧が一九〇ミリメートルを超えることが多数回に及び、拡張期圧も高いことが特徴であった。同年二月一三日に三楽病院を退院してから昭和五〇年七月八日までは、同病院に定期的に(通常、月一、二回の割合で)通院しており、血圧は比較的安定していたが、その後本件疾病発症に至るまで通院しておらず、この間の血圧の状態は不明である。

(二)  恒麿は、昭和四九年一〇月ころから、健康管理のため一日おきに起床後約一キロメートルの距離をランニングしていた。同人は、その後、三楽病院の医師からも定期健康診断を担当した医師からも、通常の勤務を制限すべき旨の指導を受けたことはなく、駒場高校の上司や同僚の教諭も、家族の者も、同人の健康について不安を抱いてはいなかった。同人が昭和五〇年八月一日から昭和五一年七月一二日までの間に有給休暇を取得したのは、わずか四日にすぎない。同人の当時の勤務形態は、毎週月曜日を自宅研修日にあて、火曜日から土曜日まで登校するというのが原則となっていた。

5  脳動脈瘤の破綻によるくも膜下出血について

(証拠略)及び鑑定の結果によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  恒麿のくも膜下出血は、左前大脳動脈基始部A2の部位に発生した嚢状(Saccular)動脈瘤の破綻により中枢神経系・神経根を覆うくも膜の下腔に出血したものである。

(二)  右の嚢状(Saccular)動脈瘤は、血管中膜細胞が欠如し易い血管分岐部先端に発生するものであるが、先天的に血管中膜細胞が欠損しているために発生する場合と高血圧、動脈硬化性変化等が加齢とともに進展して後天的に血管中膜細胞が消失したために発生する場合とがある。こうして発生した脳動脈瘤は、動脈内圧を受けて徐々に大きくなるが、それに連れて脳動脈瘤壁の結合組織に変性が生じ、小さな亀裂が壁に生じて壁内への出血を反復するようになる。そして、最も薄くもろくなった部位が破綻し、くも膜下腔へ出血した状態がくも膜下出血である。

脳動脈瘤破綻の誘因の一つとして、急激な血圧の上昇が重要なものといわれているが、破綻は、家庭や職場において日常的な動作をしている際にも、就寝時においてさえも生ずる。そして、破綻は何らの前兆もなく生ずることが多く、破綻に要した負荷を定量的に計測すること又はそれを破綻の後に推計することは、現在のところほとんど不可能である。

6  恒麿の本件疾病の公務起因性について

(一)  地方公務員災害補償法に基づく補償を請求するには、その補償の請求の原因である災害(本件においては疾病)が公務により生じたものであることを要するところ(同法四五条一項参照)、右にいう災害が公務により生じたとは、災害と公務との間に相当因果関係のあること(公務起因性)が必要であり、この災害と公務との間の相当因果関係の存在の立証責任は、補償を請求する側(本件においては原告)にあるものと解するのが相当である。

そして、本件の場合には、恒麿の公務の遂行と本件疾病発症との間に相当因果関係のあることが必要であるが、右の相当因果関係があるというためには、必ずしも公務の遂行が本件疾病発症の唯一の原因であることを要するものではなく、恒麿の有していた病的素因や既存の疾病が本件疾病発症の条件となっている場合であっても、医学上の経験則に照らして、公務の遂行がこれらを急激に増悪させて本件疾病発症の時期を早める等共働原因となって本件疾病を発症させたと認められる場合には、原則として相当因果関係があるものと解するのが相当である。

(二)  右に述べた観点から、恒麿の公務の遂行と本件疾病発症との間に相当因果関係があるか否かを判断する。

前判示一及び二の5の(一)のとおり、本件疾病は、恒麿の左前大脳動脈基始部A2の部位に発生した嚢状(Saccular)動脈瘤の破綻により生じたくも膜下出血による脳症であるところ、恒麿の脳動脈瘤の発生自体に公務の遂行が寄与したのか否か、また、寄与したとした場合の寄与の程度については、これを明らかにする証拠は存在しない。

前判示二の4及び5の各事実を総合すれば、恒麿は、昭和三三年ころ高血圧症と診断され、本件疾病発症の約一年前である昭和五〇年七月まで投薬治療等を受けていたものであるところ、昭和四二年三月に頸部硬直が疑われ、更に昭和四九年二月に右不全麻痺の治療のために入院し、その際、脳血栓である旨の診断を受けたが、既にこの時期には、同人の脳動脈瘤及び脳動脈瘤壁の結合組織の変性は相当に進展しており、昭和五一年七月一三日に遠泳実習に参加したときには、脳動脈瘤がいつ破綻するかわからないという状態になっていたものと推認するのが相当である。しかも、恒麿は、約一八年にわたる高血圧症を基礎疾病として有していたのであるから、同日には、脳動脈瘤の破綻によるくも膜下出血発症の高度の危険性を帯有した状態で遠泳実習に参加したものということができる。

そして、前判示二の3及び4の各事実を総合すれば、恒麿に脳動脈瘤が発生してから遠泳実習に参加する前日である昭和五一年七月一二日までの公務の遂行に基づく精神的緊張又は身体的負担が同人の脳動脈瘤及び脳動脈瘤壁の結合組織の変性の進展に全く影響を与えなかったとはいえないものの、高血圧症という基礎疾病を主たる基盤として、公務の遂行及び私生活上の諸要因が相互に影響を与え、一体となってその進展に寄与したものと考えるのが相当であって、公務の遂行がその進展を著しく促進したものということはできない。

また、本件疾病発症当日の恒麿の公務遂行の過程を見ると、前判示二の1及び2のとおり、重量四〇ないし五〇キログラムのボートを引き上げる動作、海上でボートのオールを漕ぐ動作、勾配一二ないし三〇度の坂道を登る動作、正座から立ち上って生徒に対して開校式の訓示を述べる動作等恒麿の血圧を上昇させ、血圧の変動を大きくする行為が数回にわたって行われており、これらの行為が恒麿の脳動脈瘤を破綻させる最後の引きがねになったことが推認できる。しかし、前記のように同人がいつ破綻するかわからない状態にある脳動脈瘤という病的素因を有しており、かつ、約一八年にわたる高血圧症という基礎疾病を有していたこと、及び、脳動脈瘤の破綻は家庭や職場において日常的な動作をしている際や就寝時においてさえも発生することを考慮すると、医学上の経験則に照らして、本件疾病発症当日の公務の遂行が、同人の脳動脈瘤及び脳動脈瘤壁の結合組織の変性を急激に促進させて破綻に至らしめたもの、すなわち同人の有する病的素因及び基礎疾病と共働原因となって本件疾病を発症させたものと認めることはできない。

したがって、恒麿の公務の遂行と本件疾病の発症との間に相当因果関係があるものと認めることはできない。

三  以上の次第で、本件疾病を公務外の災害と認定した被告の本件処分に違法はなく、同処分の取消しを求める本訴請求は失当であるから、棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官田中豊は転補につき、裁判官星野隆宏は退官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 今井功)

別表

〈省略〉

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